ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

暦は独立性の象徴:元号も大切にしてあげて下さい

なんだかついこの間、「ハッピーニューイヤー!」とやったばかりのような気がするのだが、2018年が終わろうとしている。

インドネシアではクリスマスの12月25日は国民の祝日で、その周辺に有給休暇の取得奨励日があるため、今年は22日(土)から連休に入っている人も多い。知人の日本人もその辺りから一時帰国している人が多いようだ。

仕事納めが日本よりだいぶ早いのに対して、仕事始めは1月の2日か3日。日本よりも早く休みが明ける。1月2日から働くというのは日本人の感覚にはないよなぁ、と毎年思う。

というか、そもそも正月=西暦での新年を祝うという感覚が薄いのだと思う。

インドネシアの公式な暦は西暦だし、大晦日の夜に集まってカウントダウンしたり、花火打ち上げたりしている人もいるし、ショッピングモールではニューイヤーセールもあるけど、例えばイスラム教の人は一年で一番の祝日は断食月明けの大祭だし、華人なら中国正月といったように、それぞれの宗教や民族ごとに伝統的な祝日があり、そっちの方が重視されている。考えてみればもっともな話で、西洋人でもキリスト教徒でもない日本人が、こんなに熱心に西暦の新年を祝っている方が変なのかもしれない。異国の暦で初詣に来られる神社の神様も困惑しているかも知れない。

イスラム教にヒジュラ暦バリ・ヒンドゥーにサカ歴・ウク歴があるように、便宜的に使う西暦と民族や宗教ごとの伝統的な暦が並立していることは珍しくない。日本の元号もその一種だ。今上天皇がもうじき退位され、平成が終わる。それに伴って天皇制や元号に関する議論もいろいろ見られる。「元号なんて不便だし、廃止してしまえ」という意見は分からないでもないけど、もう少し日本の暦法を大事にしてあげてもいいのではと思う。

元号 年号から読み解く日本史 (文春新書)

元号 年号から読み解く日本史 (文春新書)

 

 暦を定めるというのは古来より為政者が行うことだった。異国の暦を使うなど植民地になるも同然だ、とまでは言わないけど、インドネシアの例で言えば、1945年8月17日に行われた独立宣言は何と皇紀2605年8月17日の日付で発せられている。オランダから独立するのにオランダの暦法を使っていては矛盾になると考えた一方、多民族・多宗教が一つになるという建国の思想に従えば特定の宗教・民族の暦を採用することにも問題があったためだと指摘されている。暦を定め、時を管理するのはその集団の独立性の象徴という側面があることは忘れてはいけないと思う。

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独立宣言文起草のジオラマ

 

ちなみに私はインドネシアで数字6桁のパスワードを作らないといけないようなケースでは、元号での自分の記念日(誕生日はさすがに使わないけど)を使うことがよくある。順番はもちろんYYMMDDだ。一般的なインドネシア人は元号なんてものの存在すら知らないから、当てることはできないだろう。サインも普通に漢字で名前を書いている。画数の多い漢字ばかりなので、これを偽造するのは非漢字圏の人には困難なはず。特殊なケースの話に過ぎないけど、文化的な特殊性は逆手に取ると便利だったりもしますよ。

 

何はともあれ、良いお年を。平成の残り4ヶ月あまりが平和に過ぎますように。

 

 

2018年12月28日:独立宣言文の皇紀採用の理由に関する一文を修正