ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

Eブックでコーランを:宗教とテクノロジー

ジャカルタで暮らし始めたばかりの頃に驚いた物の一つが、電子コーランである。電子辞書のような形でコーランの全文が読め、また読み上げ機能もあってアラビア語の発音も学べるという代物で、グラメディアという大手書店(ここの書店は、本の売り場よりも文房具やコンピューターアクセサリの売り場が広い)で見つけ、店員を質問攻めにして面白がった挙げ句に買わなかったことを覚えている。


その時の私は、宗教というものは伝統を固守し、新たなことなど行わない、まるで文化財として保護されている伝統芸能のような存在と思っていた。だから、宗教とテクノロジーの組み合わせが奇異に感じたのだが、その後のジャカルタ生活でそれは大間違いであることを思い知ることになった。むしろ、宗教のような人の情熱を掻き立てるものが、便利な最新テクノロジーを利用しないはずがないのだ。

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お馴染みの彼らもこんな感じに



電子コーランなんていうのは序の口の話で、インターネットが普及し、フェイスブックを利用するようになると、イスラム指導者はそこでグループを作り、若者に説法を行う(中には過激なグループもあってテロの温床になることもある)。Youtubeで説法を聞くこともできる。
自動翻訳を使えば、アラビア語や英語で書かれた、より豊富で内容の充実した宗教書も読める。ボランティアでインドネシア語訳を作る人だってたくさんいる(この辺はアニメを違法にアップロードして、ご丁寧に各国語の字幕を付けている人に似ている気がする)。

スマホが普及すれば、今度はお祈りの時間をアラームで知らせてくれるアプリ、メッカの方向を示してくれるアプリ、外国でハラルのレストランの場所を教えてくれるアプリ、可愛らしい絵で子どもが楽しくイスラムを学べるアプリとさまざまなアプリが見つかる。

 

 絶対に売れそうにないアフリエイト。子供向けのEブック版コーラン

 


実際、技術の進歩により、この中東などから直にイスラムの情報が入ってきたり、コーランハディース預言者ムハンマドの言行録)の内容を直接読んで知ることが簡単になったことは、インドネシアイスラムに大きなインパクトを与えたことは多くの識者により指摘されている。
マジメな若者が今までの割といい加減な、そしていい加減であるが故に他宗教に寛容だったインドネシアイスラムに満足せず、より教義通りの、そして他宗教に不寛容なイスラムに傾倒しているというのだが、生活者の実感としてもこの指摘は正しいと思える。
個人的にはこの潮流は多民族国家インドネシアの将来を脅かすのではないかと懸念しているのだが、イスラムの視点から見ると、正しい教義の普及の成功例ということになるのだろう。


これは別にイスラムに限った話ではなく、調べてみると日本の神社も電子マネーでお賽銭が払えるようにしたり、災害で壊れた鳥居の再建費用をクラウド・ファウンディングで募ったり色々やっていたりする。私が無知だっただけで、日本でだって宗教は貪欲にテクノロジーを活用しているのだ。

宗教は確かに核心部分にある考え方は容易に変化しないけれど、その核心部分を守るために、そして素晴らしい教えを学びたい、人に伝えたいという情熱によって表面的な部分は驚くほど柔軟に時代に合わせて変化し続けていて、そのダイナミズムが政治や経済に大きく影響してくる、という実感は日本ではあまり得られない体験だったと思う。