ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

外国人の目で再発見する地元の美

インドネシアに住みはじめて16年以上が経過するのだが、今でも何でもない路地や市場を写真にとってしまうことがある。私は実際にそういう何でもない景色が美しいと思うし、ツイッターにあげるとそこそこ(主に日本人から)「いいね」がつくので、そう感じるのは私だけじゃないのだろう。

だが、ご存知の通りこういうのは典型的な外国人仕草で、インドネシア人は小汚い路地は小汚い路地としか思ってないし、市場は安く買い物ができる場所としか思っていないので、誰も写真に撮ってインスタグラムに投稿したりしないし、YouTuber志望者が動画を撮影しているのも見たことがない。ただ私が撮影したものを妻や他のインドネシア人に見せると結構好評だったりする。


これは逆もまた真なりで、インドネシア人の妻は日本の、私の実家の近所の平凡な景色に魅力を見出している。

彼女にかかれば、家の前の道路も雑木林も、ろくな遊具もない公園も、近所の精肉店の前のベンチも格好の撮影スポットになる。それで、「何もこんなところで写真を撮らなくても」と思いながら渋々カメラを向けると、意外なことにまぁそこまで悪くない写真になったりする。

 

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一時期、不良中学生がたむろして問題になった雑木林

 

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「危険」な遊具はあらかた撤去され、子どもよりもお年寄りが目立つ公園

 

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運良く紫陽花の季節だったうちの前の道路


これもまた近所にある和菓子屋やらドラッグストアやらホームセンターやらも彼女には宝の山で、棚を一つ一つチェックしてはスーツケースの容量を計算しつつ色々なものを買い集めて来る。これも私には「こんなところにいいものがあるわけない」という色眼鏡で見ているから近所のホームセンターでは必要に迫られた消耗品ぐらいしか買ったことがないが、ロフトやハンズに対するような情熱を持って見ていけば「おっ」と思うような商品が見つかることもある。

 外国人の目により地元の人が日常の光景として見逃していた魅力が「再発見」されるというのは珍しい話ではないし、少なからぬ観光地がそうやって「再発見」されたと思うのだけど、妻のおかげで地元がちょっと誇らしくなった。コロナ禍で遠出しにくい今、カメラ片手に地元の美を探してみるのもいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

健康か養生か:コロナ禍で考える死生観

インドネシアでは現在でもコロナウィルスの感染者は増加を続けている。

3月に最初の感染者が公式に確認されて以降、さまざまな規制が行われたり、それが十分な成果をあげる前に解除されたりという残念な展開や、現時点でインドネシアに入国するために必要なプロセスなどは既に報道やインドネシア在住日本人のブログなどでも詳細が書かれているのでここでは触れない。関心のある方は是非、探して読んでみてほしい。

このコロナウィルス禍の間、私がずっと関心を持っていたのは日本人とインドネシア人の安全に対する意識の違いである。端的に言えば、インドネシア人はあまり感染リスクを深刻にとらえていない人の割合が大きい。

毎日1500人程度の感染と50人以上の死者が報告され続けているここ最近でも、街に出ればマスクも付けずに近距離でおしゃべりしている人などいくらでもいるし、賑わっているカフェもある。

イスラム教の金曜礼拝やキリスト教の日曜のミサも一応、間隔を十分開けるなどのプロトコルに従って、という建前で普通に行われている。こういうルールは都心の目立つところでは守られているかもしれないが、全国津々浦々で遵守されているわけがないことはインドネシア人でも在留外国人でもみんな知っていることである。

特に地方では結婚式などの多くの人が集まる行事が行われ、招待された日本人(地方にはインドネシア人と結婚し、本当に現地に溶け込んだ生活をしている日本人が少なからずいる)が自身や子どもの安全を考えて頭を抱えているという話もよく聞く。

 

ある程度長くインドネシアに住んでいる人はみな「日本人とインドネシア人の死生観はかなり違う」ということを感覚的に理解しているだろう。それは、ざっくり言うと「人は遅かれ早かれ死ぬという達観・諦念があり、長寿に対する執着がうすい」という感じだろうか。

こうした死生観がどこから来るのかというと、「来世に重きを置く宗教によるもの」「医療が未発達な多産多死社会の名残」というのが誰もが思いつく一般的な回答であり、まぁそうなんだろうなと私も思う。

 

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墓参り。断食月にやることが多い。お花を撒いて、コーランを読む

ところで、先日、「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」という本を読んだ。

令和の「健康で清潔で道徳的な秩序ある社会」をあまりそうでなかった昭和の時代と比較して、私たちが何を得て、何を失ったのかという話でなかなか好著だと思うのだが、この昭和時代の話が今のインドネシアと通じる部分が多く、私は現代日本とちょっと昔の日本との比較というよりインドネシアとの比較という文脈で読んでしまう部分が多かった。

 

 

その中の健康について述べた部分には、そもそも血圧やらコレステロールやらを測定し管理し健康維持をする現代人の常識はたかだが過去数十年に生まれたもので、「健康という概念が輸入されてくる前の日本では、養生という概念が支配的であったという。養生とは『生きている間に何を為すのか』についての概念であり、良く生きて良く死ぬという目的のための手段として養生訓が存在していた」と書かれている。まさにこれがインドネシア人の死生観に近いし、この方が本質的には正しいのではないだろうか。

私の両親もそろそろ70に手が届く。遠い国に住んで親不孝をしているわけだが、「長生きしてね」というのは親の幸福を願っているようで、実は自らの精神的なよすがを失うのを恐れるエゴでしかないのでは、本当に親を思うなら「満足する死に方をしてね」と願う方が正しいのではと考えることがある。

私はなんとなくインドネシアのような南国で強い日差しを浴びた濃い緑色の木々を見ると、生命力の強さとともに死の影を思うのだけど、コロナ禍をきっかけにこの辺をもう少しインドネシア人から学んでみたいと思った。

安産の願いは世界共通:妊娠にまつわる習慣あれこれ

相変わらず全く更新しないブログですが実はこの間、妻が妊娠し、無事4月末に出産した。新型コロナウィルスの影響でさまざまな規制が行われている時期にあたったので、妻は予定日が近づくとラピッドテストを受けさせられ、さらにPCR検査を産院に受けに行ったそのタイミングで産気づくという最高に2020年らしいエピソードの出産となったが、比較的安産でその後も元気に育ってくれている。

 

インドネシア人はイスラムをはじめ各自の宗教を大切にしている人が多いが、それ以前から伝わっているのであろう土着の迷信のようなものも好きである。まして妊娠中は万が一の事態を避けるためどんな小さなことでも気になるようで、普段は礼拝もしないし縁起を担ぐことに興味もない私の妻でさえ色々な習慣を気にしていた。

例えばマグリブ(日没時の礼拝)の時間には家に戻らなくてはならないというルールを遵守し、家の前で近所の奥様方とおしゃべりしていてもマグリブの礼拝を呼びかけるアザーンが聞こえると家に戻ってきていた。これは出産後も同じで、マグリブの際には子どもを抱いていないといけないという。日没で体が冷えることや犯罪に遭遇することを避けるためこうした習慣ができたのかもしれない。

また紐をきつく結んではならない、四つん這いになって床を磨いてはならないなどのルールがあるそうだ。紐を結ぶとへその緒が胎児の首に絡みつくというが、お腹のあたりに力が入り、流産の原因になりそうな行為を避けるためなんじゃないかと思う。

他にもパイナップルを食べると流産になる(これはインドネシアだけでなく南国に広くある禁忌らしいがWHOのサイトで調べた限りでは流産との関連性はないらしい)とか、殺生をしてはならない(なんとなく仏教由来な気がする)、長く使われていない部屋に入ってはならない(なんでだろう? 不衛生だから?)というのもメジャーなルールなようだ。この辺は広いインドネシアのこと、地方によりさまざまなルールがありそうだ。


個人的に最も印象深いのは魔除けのために乾燥させた生姜の小片を衣服、就寝中はまくらに安全ピンでくっつけるという習慣だ。ちなみに出産後はベビーベッドに生姜を置く。本来は生姜の他にコーラン、はさみ、竹ぼうきなども置くそうだ。

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獣の爪のような生姜を置いて眠る我が娘

日本でも魔除けにほうきや刃物を用いることがあるので、中国かインドあたりの習慣が他国に広まったのか、それとも人間はある程度普遍的に邪悪を打ち倒すための武器としての刃物、汚れを掃き清めるほうきに破邪の意味を見出すのか由来が大いに気になるところだ。

生姜に魔除けがあるというのはやはり消毒作用のためだろうか。酒や塩に邪悪を避ける効果があるとされたり、神社に入る前にもイスラムの礼拝の前にも手やら足やら口やらを洗うのも、呪いや穢れというのは結局のところ疫病であり、それに強いものが神聖とされたのではないかと思わざるを得ない。

 

枕元に生姜を置くことでコロナウィルスを避けられるとは思わないが、これまで疫病と戦い続け、我が子の息災を祈り続けてきた人類の歴史に思いをはせて、生姜は当分置き続けようと思う。

 

 

ジャカルタの渇水と千葉の水害:異常気象のコインの裏表?

最近、ようやく少し雨が降り始めたが、今年は乾季が長引き渇水に苦しんだ地方が多かった。私の家も9月末ごろは毎日10時間ぐらいは断水していた。

幸いインドネシアの一戸建ては、日本だと沖縄のように屋根の上に貯水タンクを備えている場合が多く、うちもなんとかそれでやり繰りできたが、人数が多い世帯は大変だっただろう。停電よりも断水の方が断然キツイ(水がなくてはウンコも流せないのだから)。

10月後半はジャカルタも連日35度を超えの猛暑で、内陸部では40度近くまで気温が上昇したそうだ。乾季の暑さ、水不足は毎年のことではあるが、少なくとも2004年に私がジャカルタに住み始めてから一番の渇水、猛暑だと思う。

 

 

それとは逆に私の生まれ故郷、千葉は台風と大雨による水害に立て続けに見舞われた。千葉市にある実家は台風15号の時には24時間近く停電したそうだが、県全体の状態を考えるとそれでもマシな方だったのだろう。

千葉で生まれ育った私は「千葉は災害が少なく、温暖な気候で、海の幸にも山の幸にも恵まれ、都心へのアクセスもよく、日本の玄関・成田空港があり、日本最大の観光地ディズニーランドもある」と千葉ナショナリズムを叩き込まれてきたわけだが、実際に災害は少なかったように感じる。

 

国土交通省のサイト(https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h17/hakusho/h18/html/H1012c10.html)に「地球温暖化と台風の関係については、現時点では、地球温暖化の影響が台風の大きさや強さに及んでいると結論付けることはできません」と書かれているように、近年の「異常気象」と温暖化・気候変動の関係にハッキリしたことを言うのは難しい。

とはいえ多くの人が直感的には異常を感じているのも事実で、そのせいかインドネシアでも若い人を中心に環境への意識は高まっている。

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紙ストローのカフェも急増中

スーパーのレジ袋は有料化されたし、飲食店でもプラスチック製のストローを止める店が増えてきた。おしゃれなマイストローを持ち歩いている人もいる。そういえば最近出た結婚式の引き出物はエコバッグだった。

B4235608 アニマルフレンズ エコバッグ アジア

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「ファッション的にやってる」「環境にやさしいことをしている自分をインスタにあげるためにやっている」感もなくはないけど、でも「やらない善よりやる偽善」だ。

ごみの分別回収システムとか高効率な発電所とかは時間がかかるだろうが、民間の草の根レベルだとインドネシアは変化が本当に早い。東京よりもジャカルタの方がエコなお店が多くなるというのもあり得る話だと思う。

 

 

成功の秘訣は「時間を守る」

インドネシアで起業して何だかんだで10年以上生き残ってきて、たまに「成功の秘訣」を聞かれることがある。こんな零細企業の親父にそんな大層なことを聞いても仕方ないだろうと思うし、インドネシアの経済情勢が良かったからというのが一番の理由に違いないのだが、それ以外であえて挙げるとすれば「時間を守ること」だ。

 

例えば10時から10人で会議をする予定になっていたとして、10時ジャストの時点で会議室にいたのは5人だけ。こんなケースは、何かとルーズなインドネシアでは珍しいものでも何でもないのだが、自分が上司の立場だったらどうするのがいいのだろうか。

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素敵なオフィス

SNSインドネシアクラスタを眺めている限りでは、日本人駐在員でも、(たぶん若い人を中心に)「オーケー、オーケー。日本みたいに細かいのが異常なんだ。気楽に行こうぜ、インドネシア最高」という感じで遅刻を受け入れている人もいる。

(もっともツイッターなどで「現地文化に理解のあるイケてる駐在員」をアピールするためにそう書いているだけで、実際には違う対応をしているのかもしれないけど)

 

でも、これはあり得ない対応だと私は思う、というか確信している。

 

 遅刻を容認していたら、時間通りに来ていた5人の方もいずれ遅刻するようになるのはまず間違いない。彼らは社内の会議だけでなく、社外の人との約束にも遅刻するだろう。他の部分でもいい加減になっていくかもしれない。

確かにインドネシアは日本よりもずっと時間に緩い文化の国柄ではあるけれど、少なくとも顧客の立場になった時、インドネシア人だって時間を守ってほしいと思っているし、時間を守る人・会社をより信頼する。

逆に言えば、時間を守らない人が少なからずいるインドネシアでは、オンタイムに行動するだけで、同業他社または同僚よりも高い評価を得ることができる。

「当たり前のことをきっちりやるのが大切」というのは日本でも同じかもしれないが、時間を守るだけでポイントが加算されるというのは、時間厳守が身についた日本人には美味しすぎるボーナスじゃないだろうか。

だからこそ、上司・先輩の立場にあるのなら、他の部署、他の会社に行った時に少しでも評価が高まるように、部下に時間を守ることを指導しないといけない。日本人の下で働いていたのにこういう習慣が全く身に付いていない人を見ると、「あなたの上司は指導してくれなかったんだね、上司としての義務を果たしてくれなかったんだね」と本当に悲しくなる。

 

 

何でもかんでも日本のスタイルを押し付けることがいいわけではないけれど、嫌われることを恐れてビジネス上の合理性があるものを部下に指導できないのでは上司としてより高い賃金をもらう資格ナシと言われても仕方がない。

逆に機密性の高いことじゃなければLINEやWhat`s Appでのやり取りOK、有給は基本フルで消化、賃上げ交渉ウェルカムなどインドネシアっぽいビジネス文化も受け入れてますよ。

今はまだまだだとしても:改善する若者のモラル

ツイッターのアイコンに日の丸とか付けがちなタイプの人がよく日本人は「民度」が高いとか言っていて、この民度が何を指すのかイマイチはっきりしないけど、「ルールと道徳の遵守」だとすると、残念ながらインドネシア人は現状「民度」が低い国民であり、その「民度」の低さ故に自らに災いを招いていると言わざるを得ない。


ジャカルタの名物である大渋滞は在留外国人だけでなくインドネシア人も困り果てているのだが、その一因は違法な路上駐車、公道の私的占有などの交通法規の無視だろうし、洪水も皆が川に好き勝手にゴミを投棄することが原因の一つだ。

このポイ捨てを例にすると、10年ぐらい前に付き合っていた彼女がゴミをポイ捨てして、「公共の場所(tempat umum)に捨てるのは止めたほうがいいよ」と注意したら、「だって誰かの私有地に捨てたら怒られるじゃん」と真顔で返されたことがある。私有地でも公共の場でもなくゴミ箱に捨てろよという話なのだが、少なくとも彼女の中では公共の場にゴミ(確かガムの包み紙か何かだった)を捨てることはモラルに反する行為じゃなかったようだ。

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ジャカルタはこんな川・池ばっかり

豚肉を食べないとか、左手は使わないとか、そういうのは文化の「違い」だから気にならないが、ポイ捨てなんかはマナーの「優劣」のように思えてイラッとすることが多い。他にも歩きタバコ(もっとひどくなると「バイク運転しながらタバコ」)なんかもそうだ。ついつい「これだからインドネシア人は!」なんて思ってしまう。

だけど、インドネシア人をちょっと擁護すると、日本人も例えば10キロ程度の速度違反なんかは大抵のドライバーがしている。これだって違法行為には違いないのだが、モラルに反するという自覚がないため、罪悪感もなくやってしまうのだろう。このスピード違反にあたるのが、ポイ捨てや歩きタバコだとしたら、インドネシア人がこれをやってしまう感覚は分からないでもない。

ところで最近、日本が支援したジャカルタのMRTが開通し、その乗客のマナーの悪さがこちらのメディアで報じられている。でも、あのマナーの悪さ(列横入り、座り込んで飯を食べ始めゴミを片さない、混雑時に人を押しのけて通ろうとする、痴漢行為などなど)はここの公共交通機関では悲しいかな当たり前の話で、あえてそれが批判的に報じられているというのは、MRT開通を機に公共交通機関の利用マナーも国際レベルにアップグレードしたいという政府の意向があるということであり、その政府の意向というのはつまるところ、現状が恥ずかしいレベルであるということを自覚する人が増えてきたということに起因するのだろう。

 確かに今の20代から下ぐらいの若い人たちはポイ捨てはあまりしないように思えるし、タバコも吸う前に「いいですか」と一声かけるぐらいはする人が増えたように思える(若い公務員と中年以上の公務員だと、圧倒的に若い公務員の方が態度がよく、不正が少ない!)。こう思えば、ちょっと前に日本人が通ってきた道をインドネシア人は今まさに通ろうとしているわけで、結局、日本人もインドネシア人も基本的な部分では大差ないなと思う。

 

 

日本人もハマる国民食インドミー

日本人の国民食というとラーメンとかカレーがあがる。本当にそれでいいのか、という気もするが、私自身も母の味と聞いてイメージするのは、牛すじ肉を長時間煮込んだ特製カレーだったりするので、現代の日本人が今さらカッコつけて和食をあげるより潔いのかもしれない。

広大な領土に多数に民族が暮らし、料理もそれぞれの伝統があるインドネシア国民食は何かというと、「インドミー」ではないだろうか。インドネシア人からも、インドネシア在住経験のある日本人からも異論反論はありそうだが、でも、国民食の候補の一つにはなるはずだ。

ご存じない人に説明すると、単純明快、袋入のインスタントラーメンである。ソト(インドネシアのスープ料理)味とか、日本にはないフレーバーのものもあるが、一度食べたぐらいだと、可もなく不可もないインスタントラーメンにしか感じないが、何度か食べるうちにハマって抜け出せなくなる中毒性がある。インドネシアに駐在していた日本人も、日本在住のインドネシア人もインドミーをあげると大喜びする。変に小洒落たものより、断然インドミーである。

ところで面白いのは、インドネシアではインドミーも立派な料理のように扱われている点である。日本だとインスタントラーメンは手抜きというか、「料理」にはカウントされないように思うが、インドネシアではインドミーを提供する屋台(卵やコンビーフなどを入れて多少の手間をかけていることが多い)もたくさんある。

 

 

  私の一番のお気に入りは定番のソト味。日本のインスタントラーメンにはない味わい

 

 

 こちらも定番の汁なしのタイプ

 

 


ここ数年は毎年のように新しいフレーバーが出ては消えているのも面白い。日本だと缶コーヒーでも何でも季節ごとに新商品が出ているが、インドネシアではかなり珍しい。最近だと激辛のミーアチェ味が美味しい。インドネシアは地方ごとに様々な料理があるので、次はどんなのが出てくるのかも楽しみだ。


ちなみにインドネシアはインスタントラーメン消費量の世界2位だそうだ(1位は中国、3位は日本)。