ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

今はまだまだだとしても:改善する若者のモラル

ツイッターのアイコンに日の丸とか付けがちなタイプの人がよく日本人は「民度」が高いとか言っていて、この民度が何を指すのかイマイチはっきりしないけど、「ルールと道徳の遵守」だとすると、残念ながらインドネシア人は現状「民度」が低い国民であり、その「民度」の低さ故に自らに災いを招いていると言わざるを得ない。


ジャカルタの名物である大渋滞は在留外国人だけでなくインドネシア人も困り果てているのだが、その一因は違法な路上駐車、公道の私的占有などの交通法規の無視だろうし、洪水も皆が川に好き勝手にゴミを投棄することが原因の一つだ。

このポイ捨てを例にすると、10年ぐらい前に付き合っていた彼女がゴミをポイ捨てして、「公共の場所(tempat umum)に捨てるのは止めたほうがいいよ」と注意したら、「だって誰かの私有地に捨てたら怒られるじゃん」と真顔で返されたことがある。私有地でも公共の場でもなくゴミ箱に捨てろよという話なのだが、少なくとも彼女の中では公共の場にゴミ(確かガムの包み紙か何かだった)を捨てることはモラルに反する行為じゃなかったようだ。

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ジャカルタはこんな川・池ばっかり

豚肉を食べないとか、左手は使わないとか、そういうのは文化の「違い」だから気にならないが、ポイ捨てなんかはマナーの「優劣」のように思えてイラッとすることが多い。他にも歩きタバコ(もっとひどくなると「バイク運転しながらタバコ」)なんかもそうだ。ついつい「これだからインドネシア人は!」なんて思ってしまう。

だけど、インドネシア人をちょっと擁護すると、日本人も例えば10キロ程度の速度違反なんかは大抵のドライバーがしている。これだって違法行為には違いないのだが、モラルに反するという自覚がないため、罪悪感もなくやってしまうのだろう。このスピード違反にあたるのが、ポイ捨てや歩きタバコだとしたら、インドネシア人がこれをやってしまう感覚は分からないでもない。

ところで最近、日本が支援したジャカルタのMRTが開通し、その乗客のマナーの悪さがこちらのメディアで報じられている。でも、あのマナーの悪さ(列横入り、座り込んで飯を食べ始めゴミを片さない、混雑時に人を押しのけて通ろうとする、痴漢行為などなど)はここの公共交通機関では悲しいかな当たり前の話で、あえてそれが批判的に報じられているというのは、MRT開通を機に公共交通機関の利用マナーも国際レベルにアップグレードしたいという政府の意向があるということであり、その政府の意向というのはつまるところ、現状が恥ずかしいレベルであるということを自覚する人が増えてきたということに起因するのだろう。

 確かに今の20代から下ぐらいの若い人たちはポイ捨てはあまりしないように思えるし、タバコも吸う前に「いいですか」と一声かけるぐらいはする人が増えたように思える(若い公務員と中年以上の公務員だと、圧倒的に若い公務員の方が態度がよく、不正が少ない!)。こう思えば、ちょっと前に日本人が通ってきた道をインドネシア人は今まさに通ろうとしているわけで、結局、日本人もインドネシア人も基本的な部分では大差ないなと思う。