ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

冷蔵庫はちゃんと閉めよう:小さな美徳を残したい

新婚当初、インドネシア人の妻と冷蔵庫の開け方をめぐって軽いケンカをしたことがある。
妻は料理をする時に冷蔵庫を大きく開けっ放しにし、中の材料を眺めて何を作るか考えるときがある。何回かそんな様子を見ていた僕はが「冷気が逃げるじゃん。電気のムダだよ」と注意したところ、「そんなのいくら違うっていうのよ」と妻の不興を買ってしまったというわけだ。
実際、冷蔵庫を開け放して料理のプランを考えたところで電気代に大した差はないだろう。だけど、たとえ僅かであろうと浪費は避けた方がいいし、電気を節約することは環境保護にもつながる。もし世界中の冷蔵庫所有者が開閉に気を使えば、それなりのインパクトがあるような気もする。いずれ子どもが生まれたら、こうした日本人の習慣の美徳といえる部分を身に付けてほしいとも思う。


インドネシア人はこうした節約には割と無頓着だ。クーラーを設定温度下限の16度でかけながら、ドアは開けっ放しなんてざらにある。
通俗的な説明を持ち出せば、実りのない冬があり限られた資源の中で暮らさなければならなかった日本と、とりあえず食べる物くらいなら一年中そこらの果樹に実っている豊かなインドネシアの気候風土の違いが原因ということになる。

この原因分析が正しいかどうかはともかく、日本人とインドネシア人の間には細かな習慣の違いがたくさんある。インドネシアに住んでインドネシア人の妻と結婚したわけだから、家庭内もインドネシア文化が優勢ではあるけど、やはり日本の文化の優れた部分は残したい。

 

ジャカルタには日本人学校(小学校・中学校)があり、教員免許をもった日本人の先生が、日本の公立学校のように授業をしてくれる。ただ授業料は安くはないので、私はそれだけの金額を支払うのなら他の私立学校に入れた方がいいんじゃないかと思ってきた。
仕事でインドネシアの中間層・富裕層の子どもと接することは多いが、彼らは優秀である。学校も旧来型の暗記偏重でなく、アウトプットも重視した実践的で国際水準の教育をしているようだ。
でも、子どもを日本人学校に通わせている友人の「日本人学校じゃないと例えば書類は角を揃えて置くとかの細かいことが身に付かないんじゃないかと思うんですよね」という言葉を聞いた時はまさに虚を突かれた思いがした。
確かに学校教育の重要さは、そうした習慣的な美徳の継承にあるのかもしれない。

私が小学生の頃にも、先生に散々「見直しをしろ」と言われた。テストが早く終わっても見直し、必要なものが揃っているか見直し、なんでも見直し。面倒くさいと思ったけど、なんだかんだで今でも習慣にはなっている。


逆にインドネシアは正式な書類だって誤字・脱字・落丁だらけだ。私が前に家を買った時の契約書はザッと流し読みで5カ所くらい誤りを発見した。翻訳の仕事でさまざまな公正証書を見ることもあるが、そこにも落丁やコピペミスがあることは珍しくない。極めつけは法律や条例にも誤字・脱字があったりする。
そういえば最近、加入したケーブルテレビの無線インターネットの設定で、業者の人に私が決めたパスワードを入れてもらったのだが、彼はたった6文字のアルファベットのパスワードを見事に間違えていた。日本語を使ったパスワードだから彼には馴染みのない言葉だったろうけど、そもそもパスワードなんて当人以外には意味不明な文字や数字で当たり前なわけだし、「なんで見直ししないかなぁ」と思ってしまう。今、こんな風に思うのも実は小学校の先生のおかげなのだとしたら、これは立派な教育だ。

 

別に節制も丁寧も見直しも日本人の専売特許ではないし、そもそも学校ではなく家庭で教えるべき事柄ともいえる。
ただ、日本人が他国人に比べて比較優位にある部分、優れている部分というのはそういう細かさや丁寧さに由来する仕事の正確さやハイレベルな接客だとも感じている。書類の角をきっちり揃えて置くことが当たり前になるような習慣の積み重ねが、将来、日本人の国際競争力の源泉になりうると思う。
日本人とインドネシア人の間に生まれる我が子に、日本人側から贈ってあげられる文化的な遺産として、こういう小さな美徳を大切にしたいと思う(とか言ってこの記事に誤字・脱字があったらすみません)。

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インドネシアの公立学校。オバマさんが昔通ってたところです