インドネシアらしさが失われる?
インドネシアに長く住む日本人にたまにいるのだが、近代化が進む度に「インドネシアらしさが失われる」と不平を言うことは、個人的に最も納得できないことの一つだ。
例えばジャカルタでは、以前は庶民の買物といえば「パサール(市場)」であった。だが、設備が老朽化し、薄暗く、生臭く、暑苦しいパサールは今は不人気で、スーパーマーケットやコンビニで買物をする人が多い。でも、この変化は「インドネシアらしさが失われる」ということなのだろうか。
まず第一にインドネシア人だって当然、より優れたサービスを受けたいと思っている。確かにスーパーマーケットは一見すると日本と同じようなもので、日本人の目から見たら異国情緒が薄れてつまらなないかもしれないけど、それこそ上から目線のオリエンタリズムで、余計なお世話もいいところだろう。
第二にパサールだって、今、全国にあるのは、所詮作られて数十年のコンクリート作りのもので、植民地時代やそれ以前の王朝の時代から存在する伝統ある建物であるわけでもない。その程度のものに「インドネシアらしさ」もクソもないし、「集まって買物をする場所」という意味であれば、スーパーでもコンビニでもショッピングサイトでも存続しているわけで、何も失われてはいない。
第三にそもそもパサールがスーパーに代わったぐらいで失われるほど、「インドネシアらしさ」はヤワなものじゃない。インドネシアのスーパーもコンビニも、明らかに日本のそれとは違う。インドネシアのスーパーはどうしようもなくインドネシアらしい(空芯菜やココナッツやテンペが並び、ドリアンの匂いが漂い、派手なメイクのお姉さんが試供品を振る舞い、店員はおしゃべりしながら楽しそうに商品を並べ、スピード感のないレジには長蛇の列…)し、日本のスーパーは日本らしい。文化がそんなに簡単に失われたり、変化したりするのなら誰も苦労しないよ、と思う。
ジャカルタは今、まさに公共交通機関の整備が進んでおり、日本の支援するMRTを始め、現代的な鉄道・バス網が作られようとしている。かつてベチャ(人力車)がジャカルタから追いやられたように遠からず、ドア開けっ放しで走る乗り合いバスは珍しい存在になるだろう。
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でも、賭けてもいいけど、最新の地下鉄が走り、スーパーで電子決済で買物するのが当たり前のジャカルタになっても、良くも悪くも「インドネシアらしさ」は永久に不滅です。