ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

今年は選挙イヤー:意外に素敵なインドネシアの民主主義

15年もジャカルタにいるので、何度か大統領選挙や統一地方選挙を見てきた。


投票日は通常水曜日に設定され、その日は祝日扱いで会社も休みになる。投票用紙(新聞紙並に大きい)には候補者のカラー写真が印刷されており、ふさわしいと思う候補の写真に釘を突き刺して穴を開ける。非識字者でも投票(刺票?)できるように、ということらしい。投票が済むと指先にインクを付けられる。二重投票を防ぐための措置で、投票日は指にインクが付いている人に特別割引をするお店もある(スタバもやっていたような)。
昼頃には投票が締め切られ、開票作業に移る。開票は監視員と周辺住民が見守る中、投票箱から取り出された投票用紙を一枚ずつ高々と掲げて行う。その投票が有効なら、みんなが「sah(サー=有効の意)!」と叫んで、貼り出された大きな紙に結果を書きこむ。人気候補に票が入ると拍手や歓声、嫌われ者に票が入るとブーイングが起きたりもする。手作り感が強く、なんだか学級委員や生徒会長の選挙を見ているみたいだが、結局、国政選挙だって学級委員選挙と基本は同じなんだなぁと、民主主義を身近なものに感じさせてくれる。
この開票結果が報告され、出口調査の結果も合わせ、だいたい投票日のうちに大勢が判明する。しかし、国政選挙の場合、離島や僻地もあるので結果が確定するにはかなりの時間がかかる。年々投票率は低下傾向にあるが、例えば前回のジャカルタ州知事選では77%だったように高水準をキープしている。

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投票を済ませた住民が見守る中、開票が進む

私が物好きにも投票の様子を写真を撮りながら眺めていると、「お前はもう投票したのか?」「誰に投票した?」なんて聞かれることになる。外国人だから投票権はないのだが、大抵の人はそれを知らない、というか考えたことがないのだろう。

インドネシアでは国政選挙も地方選挙も、外国人に投票は認められていない。正直、私も投票したいと思ったことはない。傲慢な物言いになるが、例えば屋台で食べ物を売っている人やバイクタクシーの運転手さんよりも、私の方がインドネシアの「知識」はあるだろう。政治に対する意見もないわけではないし、インドネシアの将来を案じてもいる。納税額だって平均的なインドネシア人よりも多いはずだ。
でも、私は本当にヤバイ時、例えばマイノリティに対するハラスメントが度を超えたと感じたり、鳥インフルエンザのような感染症が大流行したりしたら日本に逃げ帰ると思う。妻には日本の観光ビザを切らさないように言っているし、ネコも日本の防疫上の条件を満たすようにマイクロチップを埋め込み、予防接種を受けさせている。いざとなったら逃げる気マンマンなのだ。

民主主義 (角川ソフィア文庫)

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 やはり私は意思決定に参加していいのは、運命共同体にある人だけだと思う。例えば、ゴリゴリの反中候補がいて、私がその人に投票して、その人が当選して大統領になって、中国ともめて報復を受けて、経済がボロボロになって暴動が起きても、そうなった時には東京でテレビを見て「大変だなぁ」とぼやいているような人間を意思決定に参加させてはならない。意思決定に参加していいのは、あらゆる結果を引き受けられる(引き受けざるを得ない)人だけだ。

今年は4月に大統領選挙が行われる。現職のジョコ候補とプラボウォ候補の支持者の間にはこれまでの選挙ではなかった憎悪にも似た強い対立があるようだ。民主主義のなんたるかを感じられる、あの牧歌的な投票風景がまた見られればいいのだが。