ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

国老いやすく福祉制度と意識改革は成り難い

インドネシアでも、たまに子が老齢の親を虐待して逮捕されたなんていうニュースを聞くことがある。どんな虐待が行われたかが述べられ、連行される子の映像が流れ、家族愛の強いインドネシア人はこれに大変憤るのだが、私はいつも果たしてこれはそんなに単純な話なのだろうかと疑問に思う。

公的年金制度も貧弱で、そもそも屋台でものを売ったり、バイクタクシーをしたりインフォーマルな部門で働いている人も多いインドネシアの庶民層は、子が年老いた親の面倒を見るのが普通である。

平均寿命が長くなく、兄弟が多い(私の妻も5人きょうだいだ)家庭が普通だったため、さほど長くない期間を多くの兄弟が分担して親を支えることができたため、無理なく老いた親を介護することができたのだろう。日本も3-4世代前まではこうだったのだろうが、あまり長生きはできなくてもこれはこれで幸せに思える伝統である。

だが、今ではインドネシアの平均出生率も2.36(2016年)まで下がり、都市部の実感では子どもは2人というのが多数派で、まさに両親と子2人の核家族が標準世帯という、日本の1-2世代前といった趣である。この世代が老いたらどうなるのだろうか。
経済の発展で栄養状態は改善され、医療にアクセスしやすくなった結果、平均寿命(2016年で69.19歳)は伸びる反面、高齢の親を支える子は少ない。まさに今、日本が直面している介護の問題にぶつかるのではないか。

少子化する世界 (日経プレミアシリーズ)

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 その一方で、少なくとも現時点のインドネシアでは老人ホームのような施設は非常に少なく、そこに親を入れることは冷酷な人でなしのすることのように語られることが多い。家族のつながりが強く、子が親の面倒をみるというは結構な話ではあるが、日本人としては寝たきりや認知症になってしまった親を、家庭で丸抱えして介護することが極めて困難であることも知っている。

前述の老親虐待事件などは、「子が親の世話をするのは当たり前」「老人ホームなどもってのほか」という世間の常識の中、孤独な介護に追い詰められた末の事件ではないのかと疑わずにはいられないのだ。

インドネシアはまだまだ人口ボーナスが続く若い国だが、とはいっても2025年には高齢化社会(65歳以上の人口が7.0%以上)に突入すると見られている。個々人の豊かさや社会インフラ、年金などの制度などあらゆる面で日本よりも不利な状態で高齢化社会を迎える可能性が高そうなのに、政治家や知識人などが「インドネシアにはアジアらしい家族のつながりがあり、介護は家庭でできる」なんて言っているのを見ると、どうして日本のような分かりやすい先行例があるのに学んでくれないのだろうとがっかりしてしまう。

とりあえず、どこかの骨のある記者が老親虐待事件を掘り下げて世に問うような記事を書いてくれると嬉しいのだけど。

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働く元気なおばあさん