ジャカルタの日本人が思うこと

ジャカルタ在住15年の日本人が思う、日本とインドネシアのいろいろなこと。

イスラムの世界観:人の心はちっぽけなもの

出入国管理法の改正で、外国人労働者の受け入れが拡大されそうなことについて、議論となっている。改正が実現すれば、私が住むインドネシアからも結構な人数が仕事を求めて日本に行くかもしれない。

インドネシア人は留学生も、研修生も、それ以外も日本での評判は上々だと思う。おおむねマジメに頑張っていて、犯罪や迷惑行為に関わる人も少ないだろう。でも、絶対数が少ないから目立たないだけで、もし在日インドネシア人が今の在日中国人くらいの数になったら、それなりにトラブルが生じてくるようにも思える。

インドネシアは国民の9割近くがイスラム教徒。何がなんでも戒律厳守という感じではなく融通がきく方が多いので、中東のイスラム教徒と比べたら移住先の社会に馴染みやすい部分はあると思うが、それでもイスラム教の戒律・習慣に起因する摩擦は生じるだろう。

食事やら礼拝やらお酒やら性表現やら、既に多くのイスラム教徒を受け入れている欧州の経験があちこちで語られているので、具体的な問題についてはそちらを参考にしてほしい。私がここで書きたいのは、日本人とイスラム教徒の(たぶん)一番根本的な世界観の違いについてだ。

私にとって一番身近なイスラム教徒はインドネシア人の妻だ。厳密に言えば私も改宗しているので、自分自身こそが一番身近なイスラム教徒のはずなのだが、改宗して何年も経つのに一度もお祈りしたことがないという有様なので除外。
といっても妻もイスラム教徒としては相当ゆるく、結婚して3年の間、お祈りした回数は多分一桁だ。今年のラマダーン断食月)に断食した回数は私は当然ゼロ、妻は1回だけ(用事があって実家に帰った時)。罰当たりな夫婦である。

 

 

結婚後に何度かあったケンカの中で、妻に「あなたはいつも自分が正しいと思っている」と言われたことがある。夫婦ケンカではよくあるセリフだが、常に妻とコミュニケーションして二人でいろいろな決断をしてきた自負がある私は「そんなことないだろ」と反発した。
だが、妻の真意は「私の考えを認めてくれない」「人の意見を聞き入れない」というものではなく、「あなたは、あなたの心が正しいと感じるものを正しいとみなしている」ということだった。
これを言われた私は「?」が頭の上をくるくる回って、ポカンとしてしまった。そりゃそうだろう。悩んで人に相談したり、調べたりしても、最終的に自分が正しいと思うことをするしかない。私はずっとそう思って生きてきた。
でも、妻は、というか多分イスラム教徒(あるいはあらゆる宗教を信じる人たち?)は違う。自分の心はちっぽけで間違いやすく、移ろいやすいものにすぎない(まぁ、これは理解できる)。正しいのはアラーのみであり、アラーの考えに近づく方法はコーランを読み、イスラムを学ぶことだ。
つまり、今、自分が悩んでいることの答えは心の中ではなく、コーランの中に存在する。心は不完全な人間の物だが、コーランはたまたま書物という形をとったアラーの言葉そのものであるからだ。「全ては心の決めたままに」というマイウェイ的な人間中心主義を私は当たり前のことだと思ってきたけど、イスラム教徒にとってはそうではないのだ。

このイスラム理解は先に述べたようにあまり宗教熱心じゃない私の妻から学んだものなので、イスラムを専門的に研究している方や真剣に信仰している方から見たら多くの誤りがあるかもしれない。それでも、世界観の根本が全然異なるということは伝わるんじゃないかと思って書いてみた。

人生の規範が心という自分の内部にある世界観と、宗教という自分の外部にある世界観。同じ状況に置かれてもたぶん見え方は全然違う。そして、私が妻との交際中はこれに全く気が付かず、結婚して1年以上経ってようやく知ったように、自分が自明だと思っていることは、ついつい相手もそう思っていると勘違いしてしまう。

それが直ちに大きな摩擦を生むわけではないし、うまくいくと、むしろお互いの世界を広げるきっかけにもなる。でも、日本の場合、準備不足の感が否めないのでかなりの不安を感じる。

 

 

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壮観のラマダーン入り前の礼拝